気まぐれ日記 2012年12月

2012年11月はここ

12月1日(土)「あてはずれ・・・の風さん」
 ビジネススクールの3日目である。
 疲労をとるための仮眠後、午前零時から徹夜態勢になった。
 しかし、世の中にはとんでもない時間に起きている人は、他にもいる。
 3時58分にメールが飛び込んできた。
 名古屋大学のO教授からで、来年2月に講演してほしいという内容だった。
 すかさず返信した。
 寒かったので、充電式カイロをポケットに入れて学校へ向かった。
 水曜日(11月28日)の中日新聞の朝刊にエッセイが掲載されることは、しっかり事前PRしてあったので、教室へ入ったら同級生らから「出てたね」といった声がかけられるに違いないと思っていた。
 ところが、とうとう一度も話題になることなく、今日の講義が終わってしまった。
 先週、拙著を寄贈した先生からも声がかからなかった。まだ読んでいないのだろうか。
 睡魔との闘いで1日を終え、帰りに今年最後と思って御座候(ひと回り小さい大判焼き)を買った。
 往復の電車ではひたすら睡眠補充だった。
 帰宅し、ぶっ倒れる前に、鳴海風の分(125枚)の喪中ハガキを印刷した。

12月2日(日)「まだまだ続く・・・の風さん」
 ビジネススクール4日目の今朝の最低気温は0℃だった。
 冬支度で学校へ向かった。 
 名駅で、昨夜印刷した喪中ハガキを投函した。
 今日も鳴海風の影の薄い1日だったが、なんとか無事にノルマをこなせた。
 レポートを出せる前提条件はできた。
 講義後、恒例の打ち上げに参加した。
 学割のきく店で、もつ鍋食べ放題だった。デフレの世界をこんなところでも感じた。
 終わりごろやっと鳴海風としてしゃべることができ、1冊、本も販売した。
 15日のトークセッションの話をしたら、「行きますよ」と言ってくれた。東京校のメンバーだった。
 うれしかった。
 ビジネススクールが打ち上げでも、私の仕事は終わりではない。
 帰宅し、今日は本名での喪中ハガキを印刷し、さらに先月の日文研での講演の議事録の校正をして、事務局へ送った。
 
12月3日(月)「防災訓練・・・の風さん」
 月に2回製作所に出張する朝、ミッシェルのエンジンがなかなか始動しなかった。
 セルは回るのだが(つまりバッテリ上がりではなく)、点火しないのだ。
 何度も何度も試しているうち、開き直って、電気自動車のつもりで、とことんセルを回しているうちにやっとエンジンがかかった。
 やや不安な状態は、自分の体と同じだ。ミッシェルもいい歳だからなあ。
 有料道路では、暴走を避けた(笑)。
 ……と、事故渋滞! 追い越し車線をとろとろ走る。こんなところでエンジンが止まったら、と思うと冷や汗が出る。せめて走行車線なら(左側なら)、路側帯でJAFの到着を待つことができる。
 上司に電話しておいたので、製作所には10分遅れたが、安心して到着。
 会議後、研修所へ。
 午後、構外施設防災訓練があった。本部の要人らが見守る中、火災発生あり、AED出動ありで、100人の研修生誘導ありの訓練だった。
 火災発生場所が想定外だったが、予想した発生場所を前提に行動してしまった。
 発見した負傷者(ダミー人形)を避難通路に寝かせてしまったため、研修生の誘導の邪魔になってしまった。
 色々と反省の多い、しかし有意義な訓練だった。
 それでも、ワイフの高校の同級生だったという本部長の訓話は優しかった。
 これで、今日の仕事は終わった気分になり、帰りに買い物をして家へ帰った。

12月4日(火)「自然のサイクル・・・の風さん」
 起床してカーテンを開けて真っ先に目に飛び込んでくるのは、庭の柿の木の最後に残った柿の実である。
 野鳥がついばんでいることが多く、警戒心の強い彼らは、さっと飛んで逃げてしまう。
 そして、柿の実が無残な姿をさらす。
 研修所に出社したが、気になることが多くて、あまり仕事が手につかない。
 会議の合間に、ケータイであちこち電話したり、週末の作戦を思案したりした。
 戸締り当番で帰宅は遅くなったが、やらねばならないことはやらねばならない。
 ビジネススクールのレポートの構想を考え、明日の会社での自主講演会の資料作成をした。
 来年のビジネススクールの科目登録をすると同時に、3つ前の受講科目の合格を確認した。
 とりあえずは順調である。
 今日は、東善寺の村上さんが高橋英樹の司会で童門冬二さんと対談の収録をする日だ。
 はたして高橋英樹は幼いこと遊んだ兄のことを覚えているだろうか。
 生った実は食べられなくても、やがて朽ちて自然にかえる。

12月5日(水)「中村勘三郎の死を悼む・・・の風さん」
 歌舞伎役者の中村勘三郎が死んだ。
 57歳、わたしより二つ下だった。年齢が近かったこともあり、勘九郎と呼ばれた初期のころから知っている。
 サラブレッドだったので、私には抵抗があったが、初めて会ったとき、謙虚でお茶目な人柄だったことを知って、一気に親しみが増した。
 歌舞伎役者としては、まだまだ完成度が高まる人だとにらんでいたので、早過ぎる訃報が残念でならない。
 一昨年の長谷川伸賞受賞者で、授賞式の司会をした私は、彼とツーショットの写真も撮った。何となく風貌が似ていることに気付き、良い思い出になった。
 1ヶ月遅れになってしまったが、先々月、JMA主催の生産技術者戦略会議で講演した内容を、研修所内で再現した。
 定時後の自主講演会である。
 聴講者は少なかったが、それなりの反響があって、私は満足した。
 1時間半の講演は、30年をこえる私の会社生活の成果が盛り込まれているのだ。
 東善寺の村上さんからメールがあり、高橋英樹は兄の名前を覚えていたそうだ。
 兄に伝えよう。きっと喜ぶに違いない。

12月6日(木)「次第にピンチに・・・の風さん」
 研修所に出社し、午後、先ず本社へ寄って出張の切符を受け取り、その後、旧職場へ行って、売店で購入した現場の作業者の帽子を受け取った。この帽子は来週の出張のお土産なのである。
 今年中に病院の診察はすべて受けておこうと思い、今日はまず歯医者を予約した。
 逆に、15日のトークセッションの後の、遊びの計画をすべてキャンセルした。喪中だからというのが理由だ。
 帰宅したら、長女が名古屋から遊びに来ていた。
 レポートのために必死に勉強しているが、どうも一筋縄ではいかない。Aはもらえなくてもいい。とにかく確実に合格するのが最大の目標である。しかし、そのためにはもっともっと勉強しなければならない。
 ああ〜、できるだろうか。

12月7日(金)「突発有休・・・の風さん」
 朝、目が覚めたら、腕だけでなく腰も痛い。これまでの無理が、いよいよ私に向かって反旗をひるがえし始めたというか、レッドカードを突きつけてきた感じがした。
 それで、大事をとって有休をとることにした。
 そのためには、今月予定していた一つの有休を、きっぱりと断念する必要があった。
 そして、それに比べたら他愛のないことかもしれないが、今日の研修所の戸締り当番を代わってもらうため、所内にいる秘密情報部員に暗躍してもらう必要もあった。
 有休の準備が整ったので、安心して、明日の夕方が締め切りのレポートに取り組むことにした。
 朝のうちは楽勝かと思ったが、午後になって、やはり手ごわいことが判明し、今夜、床屋に行くことを断念した(断念がやたらと多いな、最近)。
 レポートはなかなか進展しないが、時間を作って、フェイスブックに来週のトークセッションのPR記事を載せた。
 腰痛はおさまったが、右の腕と肩の痛みはひどくなる一方だった。

12月8日(土)「やっとレポートが完成・・・の風さん」
 空はどんよりとしていて、朝から冷たい風が吹いていた。
 いつものように半徹夜で、A4サイズ10枚のレポートが完成した。優秀な出来ではないが、授業態度と合わせて合格はゲットできるレベルだろう。
 相変わらず右腕と肩が痛かったので、整形外科の主治医に診てもらいたかったが、時間的に困難だった。
 それから、今日の用事を考えると、とても大学院事務室まで持って行く余裕はなかった。
 締め切りは今日の午後6時だが、当日消印有効という、まるでクイズの応募みたいなルールに便乗することにした。
 町の郵便局までミッシェルで走ったが、土曜日は窓口業務はしていない。簡易書留は断念して、そのままポストへ投函し、念のため大学院事務室へ電話もしておいた。
 時間はあまりなかったが、明日のために下見に行くことにした。
 研修所の仲の良い仲間に知多半島を案内するのだ。
 私にとっても実に久しぶりのドライブで、様子が変わっていたのには驚いた。
 帰宅して、卵かけご飯で昼食にし、お寺さんに四十九日の打ち合わせに行った。
 打ち合わせの中で、毎月第二日曜日の朝7時から、お寺で座禅修行をしていることを聞いた。妄想の多過ぎるわたしは、そのうち座禅でも組まないと人生に破たんしそうだ。
 約1時間半の打ち合わせ後、買い物に行った。
 再び帰宅し、レポートができた達成感の影響で、アップルストアにiPad miniを発注した。
 iPhone5のテザリング機能を使って活用するのが狙いである。
 それにしても寒い1日だった。明日はどうだろう?

12月9日(日)「トールの体験教室でショック・・・の風さん
 起きたら青空が広がっていた! 昨日より天候は回復していた
 今日はワイフのトールペインティング教室の作品展の最終日である。
 9時に研修所の仲間と合流して、知多半島秘境ツアー「信心の旅」へ向かった。
 弘法大師に関係するスポット2ヶ所を案内し、続けて、地元にあるサーキットを見学させ、ようやくランチタイムとなった。
 昼食を堪能した後、作品展会場に案内し、半ば強制的に体験教室に参加してもらった。
 ところがこの体験教室がメンバーにバカ受けで、私も参加して、楽しい作業経験をした。
 そして、見た目以上に作業はデリケートで難しいことが分かった(作品の出来栄えの悪さに、私はショックを受けた)。
 作品展の最終日なので、最後は片付けになる。
 体験教室で満足したメンバーを見送った後、私も片付けを手伝った。
 寒い中、力仕事をしたので、お腹が空いた。
 夕食は外食にした。
 
12月10日(月)「とうとう整形外科へ・・・の風さん」
 昨日の体験教室ではしゃいだ罰が当たったのか、朝からモーレツに右腕が痛い。
 自分では五十肩だと決めつけていたが、どうも違う気がしてきた。
 それで、ついに整形外科に行く決意をした。
 また有休である。
 商売用語で「開店休業」というのがあるが、私の場合「在職定年」かもしれない。
 整形外科ではレントゲンを撮った。その結果、骨には異常がなかった。すると、主治医が、
 「腱が切れているかもしれない」
などと怖いことを言う。
 「んなバカな」
と思ったので、とうとうMRIを撮ることになってしまった。
 寒い寒いと思っていたら、雪が降ってきた。あられに近い。大粒の雪のかたまりだ。
 そこへGakken Mook「ゼロからわかる忠臣蔵」(学研 905円税別)が届いた。
 いいタイミング!
 書き下ろしの短編「鳴かない鷹」が載っている。力のこもった文芸作品である。
 月刊「東京人」の依頼原稿の締め切りは今日である。
 ロキソニン(鎮痛剤)を服用しながら執筆を頑張らねばならない。

12月11日(火)「鍛錬の出張・・・の風さん」
 腕が痛いのに、重い荷物を持って出張である。
 日吉の慶應大学大学院へ向かった。先日工場見学などの案内をしたN研を訪れ、勤務先の工場の作業者がかぶっている帽子を4種類、お土産に持って行ったのだ。
 N先生から新しい教科書(寄贈書籍一覧参照)を頂戴してしまった。非常に興味のある内容で、ぜひ勉強したい。
 助教の人と1時間ほどディスカッションして(ついでに拙著を1冊販売して)、昼ごろ研究室を後にした。
 ちょうどお昼の時間帯が移動時間となり、私は例によってカロリーメイト200kcalで済ませた。
 神楽坂の出版社で1時間打ち合わせてから(「鳴かない鷹」を絶賛された)、東京プリンスホテルに移動し、JMAやパネルメンバーと先日の生産技術者戦略会議の反省会をおこなった。この反省会は、後日、ホームページ上に写真付きでアップされるとのこと。
 近くの居酒屋へ席を移して懇親会になった。ここでも拙著を1冊販売した。
 商売熱心な風さんである。
 今夜も八重洲のカフェバーに寄った。
 実は、重要な用事があったのだ。
 ワイフと次女の作品を友人に見せて、もし気に入ったら店に飾ってもらおうと思ったのだ。
 そこへ知り合いの、一筆アーティストの高橋美紀さんが、ユニークな古本屋「啓祐堂」のご主人と一緒に現れた。
 ワイフや次女の作品を安易に展示すると、間違いなく盗まれる、と主張された。
 ついでに、美紀さんから私の痛い右腕について「瞼板筋が切れている可能性が高いから、大事にしなきゃダメ!」ときつく忠告された。
 整形外科の言葉は脅しではなかったらしい。
 9時発の新幹線に乗り、家に着いたのは午前零時直前だった。
 今日は、朝から万歩計を携帯していた。見ると「14674歩」になっていた。

12月12日(水)「原因は頚椎症・・・の風さん」
 MRIを8時45分に予約していたので、整形外科へ直行した。
 温まっていない病院は、やはりうそ寒い。
 右腕から肩にかけてMRIを撮ったが、その姿勢がつらくて、非常に苦しかった(痛かった)。
 ちなみに、騒々しいMRIだった。旧式なのかもしれない。上の方から異音が続いた。
 それほど待たされることなく、結果が出た。
 筋肉や筋に問題はなかった。骨も大丈夫だったので、こうなると、やはり原因は頸椎にありそうだ。
 レントゲンを撮ることになった。
 頚椎症がやや悪化していることが分かった。五十肩ではなかったのだ。
 「精密検査のために首もMRIを撮りましょう」
ということになった。ここの医者は技術者に近く、データをしっかりとろうとする。
 私もこの際徹底的に調べてみる気になっていたので、同意した。
 問題は、また有休をとるのか、ということだったが、来週の土曜日ということになった。
 午後、研修所に出社してメールチェックしたら、7日に受信した重要なメールを発見した。
 確かに7日からずっと研修所に来ていなかった。
 早速打ち合わせに出かけた。
 帰宅したら、甲斐萬里江さんのフィデルマシリーズの新作(寄贈書籍一覧参照)が届いていた。
 読みたい本がまたどんどんたまってきた。
 ネットで2冊購入手配した。ビョーキだぁ。
 
12月13日(木)「マンネリ忘年会・・・の風さん」
 研修所の出社し、会議や打ち合わせが連続した。それらの中には、他人事では済まない話もあって、かなり神経を使った。元々こういうのが仕事の本質なので、当然のことなのだが……。 実は、昨日、7日に受け取ったメールの件で、旧職場で打ち合わせたのだが、結果として、やらねばならないことが増えた。これも当然他人事では済ませられない仕事である。
 いずれも、心身の衰えを感じている昨今は、大変だなという感じがする。
 しかし、ビジネススクールで厳しい勉強をしているので、何とか乗り切って行こうと思う。
 定時後、兼務しているセンターの、部次長格以上の忘年会に出席した。来年の定年後、たとえ雇用延長に入っていても、もう出られない忘年会である。
 ずい分と長期間にわたって出てきたが、今夜は特にマンネリ感を覚えた。
 料理が大量に余っているのは、欠席者も多いせいだ。
 この会社が抱えている病気を、自職場でも感じてしまうのは、悲しいことだ。
 今夜はアルコールを飲まず、さっさとミッシェルで帰宅した。
 15日のトークセッションの予約状況が芳しくないという連絡が入ったので、東京近郊の知人・友人に大量の案内メールを送信した。
 しかし、15日は新鷹会の忘年会があるので、新鷹会のメンバーに送ることはできなかった。

12月14日(金)「ゲラ修正で悩む風さんの巻」
 旧職場で増えた仕事に対応するため、研修所をやめて旧職場へ出社した。
 仕事の基本は人間関係の構築からである。
 それ以外に、旧職場でもできる仕事はいくつもある。
 そうこうしているうちに、時間がどんどん過ぎて行き、研修所へ移動する意欲がなくなった。
 元々、今夜は、研修所の大忘年会が予定されていた。
 基本的に宴会はあまり好きな方ではない。親しい少人数での飲食は大歓迎だが。
 夕方になってしまったので、ドタキャンの欠席連絡を入れた。お金が戻ってくることはない。
 帰宅して、夕食後、週初めに提出した原稿のゲラ校正を検討した。
 その結果、私の勘違いから、今回の依頼の趣旨に合わない原稿を提出してしまったことに気付いた。それで、やや大幅修正をしたいと提案することにした。
 明日のトークセッションの準備は、それからだったので、予定よりかなり遅れる見込みとなった。
 明日は、早朝出発で、国会図書館に寄ったり、池袋でパソコンを買ったりしてから、ジュンク堂池袋本店に乗り込む予定だが、黄信号が点灯し出した。

12月15日(土)「大変な1日・・・の風さん」
 ほとんど徹夜で夜が明けた。
 トークセッションの準備はなかなか終わらなかった。
 それで、国会図書館行きを中止して、自宅の準備時間にあてることにした。
 こういう場合、エクスプレス予約は変更が楽である。
 出発ギリギリまで準備を続けたが、とにかくできた。
 当初テーマは新潮選書『江戸の天才数学者』の内容紹介だったが、吉田光由にフォーカスし、京都の日文研の研究会で頂戴したDVD映像も見てもらうことにした。
 さらに、知人や友人の多いトークセッションになるだろうから、それでも現地で拙著を購入してもらうため、購入先着10名様に贈呈するサイン入り文庫本も10冊用意した。
 今回はモバイルパソコンのアプリルに加えて、DVDプレイヤーも持参するので、キャリーバッグは重たくなった。
 往路の車中は睡眠補充時間になった。
 予定通りの時間に池袋駅に着いた。
 天気予報は微妙で、曇り空からいつ雨が降ってくるか分からなかった。
 最初の目的地は、通販のパソコンショップである。
 マックブックエアーを購入しようかなと思いながら、だいぶ以前から価格ドットコムでチェックしていた。
 アイフォン5を購入したことで、購入方針は固まった。あとはいつ買うかだった。
 価格は低下傾向を示していて、昨日、最低価格を示したショップがたまたま池袋で店舗売りもしていることが分かったので、電話で予約したのである。
 ワイフは妖しい店ではないかと心配していたが、ビジネススクールで勉強している私には、何となく店のイメージが浮かんでいた。それを確認する楽しみもあったのだ。
 駅から10分弱歩いて、目的のポイントに着いた。小さなマンションの1階の1室だった。
 開けると、いきなりパソコンの入った段ボール箱の山が、目に飛び込んできた。
 若い女性が応対してくれたが、手慣れたこれも若い店長のような人も出てきた。
 途中で運び屋と思われる若い(恐らくアジア系の)女性が、段ボール箱を一つ持ち込んできた。じっとしていたのは、この運び屋ぐらいで、他の若い人たちはてきぱきと働いていた。
 購入手続きにはバーコードリーダーを使っていて、いい加減さは感じなかった。
 店長は、外まで袋に入れた商品を持って出てくれて、丁重に送りだしてくれた。
 こういった通販ショップは無数にあるに違いない。
 そして、在庫を抱えないように、一つ一つ仕入れては、最安値を提示して、どんどん売りさばいて行く。そんなビジネスモデルが垣間見えた貴重な経験になった。
 そこからジュンク堂池袋本店まで歩いた。
 トークセッションまでまだだいぶ時間があったので、近くの学生食堂みたいなレストランで、チキンカツカレーを食べたが、これまた薄い利ザヤで大量にさばいて稼ぐ、汗だくビジネスモデルを目の当たりにした。とはいえ、チキンカツがパリッとした揚げ加減で、実に美味かった。
 肝心のトークセッションは、心配とは裏腹に満席になった。
 私は精一杯のサービスに心掛け、トークの最後に、亡くなった母に捧げるトークだったことを告げた。そのせいか、本もよく売れた。
 期待していた人たちも、忙しい中聴講に来てくれ、楽しんで帰って行ったようだ。
 よかった、よかった。
 ごく少人数で、近所の居酒屋で軽い打ち上げをやった。
 ひと仕事終えた達成感と、私を心からねぎらってくれる人たちに囲まれた安堵感で、至福の時を過ごすことができた。
 感謝、感謝。
 10時半をまわり、そろそろ帰り支度をしないといけなくなった。
 夜行バスで帰るのである。
 池袋駅まで歩いた。
 山手線で新宿まで行き、新南口を出たところで、大ボケに気が付いた。私が乗るバスターミナルはここではない。
 南口へ移動したが、以前乗ったバスターミナルの位置が思い出せない。
 道路に近隣の地図が掲示されていたが、バスターミナルは示されていない。
 使い始めたばかりのアイフォン5で、バスの予約センターへ電話してみたが、時間外だという冷たい機械の応答が流れてきた。
 バスの出発時刻11時30分まで、あと5分しかない! どうしよう? このまま新宿泊まりか。
 開き直った私は、あっちだったような気がして、目の前の横断歩道を渡った。この先になかったら、もう諦めるしかない。
 すると、奇跡が起きた。
 あったー! 京王バスターミナルだ。
 
12月16日(日)「大仕事を終えた翌日・・・の風さん」
 昨夜のトークセッションが、作家としての今年最後の大仕事だった。
 母が亡くなるまでは、お疲れ様という意味で、恒例のディズニーシーに行くはずだった。
 そして、次に立てた計画は、福島へ行き、後片付けの続きをしてくることだった。が、ゲラ校正が大掛かりになってしまったため、そのままUターンすることにした。
 運よく発車3分前にバスに乗れただけでなく、隣の席が空いていてスペースもあった。
 そして、今夜は、長女から贈られた携帯枕も持参してきたので、首が痛くなることなく眠ることができた。
 夜行バスは中央道ルートだったが、崩落事故のあった笹子トンネルを迂回し、やや遅れて名鉄バスセンターに着いた。
 昨夜、今年最後の大仕事を終えて、久しぶりにゆったりした気分を満喫しながら帰宅した。
 ワイフは、ご近所の競艇選手を応援するのを口実に、実家のお父さんや妹と一緒に競艇場へ出かけた。
 私はやっと床屋へ行ってさっぱりしてきた。
 さあ、年末発行の月刊「東京人」のゲラの修正である。けっこう難物だが、これまで乗り切ってきたヤマ場に比べれば、それほどのことはない。
 今日は総選挙の日だったが、結果は明らかだったし、今の政治家への期待は投票では表現できないため、せめて低投票率の一部になろうと棄権したら、実際もそうなった(注:翌日発表では、戦後最低の59.32%)。

12月17日(月)「季節外れのゴキ・・・の風さん」
 月刊「東京人」のゲラの修正は午前3時に終了した。
 健全な生活を送っている人から見れば、異常な時刻での終了かもしれないが、私にとっては、想定内だ。……しかし、いつまでもできる無理でないことも当然承知している。
 4時から6時半まで仮眠して、久しぶりに連絡会に出席するため、製作所へ出張した。
 その後、研修所へ移動して、防災予算の執行状況を把握するため、何度か担当者と打ち合わせをした。今まで手を抜いていた面があり、整理にはかなり手間がかかりそうだ。
 最近冷える日が多い。定時後、帰宅する前にトイレに寄ったら、なんとタイルの床の隅に、大きな黒ゴキが2匹ひっくり返っていた!
 今頃出てくるのも不思議だし、死因も見当がつかない。
 帰宅したら、ビジネススクールの次の講義が届いていた。
 分厚いケースブックだ。
 今日からすぐ取り掛かれば、少しは楽になることが分かっているが、できないまま日が過ぎて行くに違いない。凡人の悲しい実態である。

12月18日(火)「成形体オイルフィルター・・・の風さん」
 夕方まで研修所で業務に励んだ。
 これまでできなかったことの穴埋めは簡単にはできない。
 一つ一つ着実に丁寧に粛々と処理していくしかない。
 そして、その最大のポイントは、自ら手を下すことである。結局、これが自分流だ。
 定時後、感銘深いイベントがあった。
 1990年代に実行された、ある次期型製品開発プロジェクトの同窓会である。
 今回、一橋大学イノベーション研究センターの大河内賞ケース研究の成果の一つとして完成したことで、関係した当時のメンバーが集まって当時の思い出を語り合おうというものだった。
 最初から最後まで終始一貫して推進担当した人ばかりでなく、途中、1〜2年(私の場合は2年)程度の参画をした人でも、この仕事は非常に思い出深いものになっていた。それほど、皆、技術に惚れ込んで、力いっぱい仕事をしたのである。
 成形体オイルフィルターという。
 会社の仕事は単なる生活のためではない。
 人生の中でも輝く時期を、そしてかなりの時間をかけて、打ち込むのが会社の仕事である。
 ハイレベルなテーマほど、人間と人間のぶつかり合いは、大きな成果へとつながっていく。
 達成感と同時に充実感、やりがい、技術者としての誇りを感じることができる。
 当時はそういう幸せを何度も味わっていたが、あれから10年ほどが経過しても、また集まってみようという気持ちになれるのは、それだけ素晴らしい仕事だったからだ。
 ケース研究としてまとめることができて(ネット検索をすれば、pdfのファイルとしてダウンロードも可能である)、本当によかったと思う。
 
12月19日(水)「牛田智大くんに圧倒された風さんの巻」
 今日も研修所で業務に専念した。
 エクセルシートを使って、予算の執行状況を整理したのだが、2つ難点があった。
 途中で生じた変更が、第三者へ説明しにくい記録になっていたため、分かりやすくする必要があったこと。
 そして、もう一つがバカバカしい話なのだが、会社のパソコンでエクセルシートを操作するのがなかなか厄介なこと。理由は、パソコンのハードがソフトについていけないくらいヘボなことである。同時に複数のソフトを立ち上げておくことはほぼ不可能で、エクセルのみにしておく必要があり、たとえエクセル一つだけでも、操作はしばしばフリーズに近い状態になってしまうのである。
 アイフォン5と同様に、土曜日に手に入れたマックブックエアーの操作性の優秀さには驚く。全社員にこういったパソコンを与えれば、事務手続きの生産性は一気に向上する。現時点、それに気付いているのかいないのか(指示が出ないということは気付いていないのと同様)、実に情けない大企業に私は勤務している。後輩たちが可哀そうだ。
 せめて私自身のパソコン環境を改善し、執筆の効率を上げて行きたい。
 実は、午後、有休だったのだが、作業が終わらず、だいぶ午後に食い込んだ。
 帰宅し、ワイフとともに、名古屋へ出かけた。
 クリスマス・スペシャル・コンサートということで、名フィルと牛田智大(うしだともはる)くんの演奏を聴くのが目的だった。
 噂に聞いていた牛田智大くんは、本当にこどもこどもした風貌だったが、ショパンの難しい(テクニックではなく情感を表現するのがこどもには難しい)曲を、並みいる名フィルの演奏家とともに、これまた人格の優れた柳澤寿男氏の指揮で演奏するのだから、大変なプレッシャーだったと思う。
 しかし、そのチャレンジ精神には圧倒されたし、結果として、おとなの領域に深く迫ることはできず、不本意さを自覚した様子も垣間見られ、大きな拍手によるアンコールに対して、ただただ頭を下げていた姿に感動した。
 13歳になったばかりの少年の、志の高さと精神性に、風さんは打ちのめされた。
 あとで知ったことだが、彼の内部に構築されつつある精神の高さは、彼の優れたリテラシー(日本語能力)によるもので、それを彼自身「僕は活字中毒なんです」という言葉で表現している。人間は言葉でものごとを考えるのが普通だから、日本人なら日本語すなわち国語を徹底的に勉強しないと、あらゆる知性は満足に身につかないのだ。

12月20日(木)「研修所の生活・・・の風さん」
 研修所にいて、たいした貢献もしていなかった私だが、一昨日、同僚から、ある研修の中で講義をしてほしいと頼まれた。詳細は略すが、会社の先輩として、技術者哲学のようなものを語ってほしいというのである。
 個人的には、そういったことを社外で話せて、日本のために貢献したいと思っているが、まだまだ未熟なので、たとえ社内であっても、すぐ受諾できるものではない。
 しかし、恐らく上司も全面的にバックアップしつつ背中を押してくるだろうから、挑戦してみる気になった。
 ただし、準備のための時間はあまりない。年が明けてすぐなのである。
 今日は、定時後、研修所のクリスマス会があった。
 子供たちも参加してのアットホームな場である。
 それでも、ノンアルコール飲料が豊富に用意されるなど、心憎い演出があり、こちらも、頭にトナカイの角をつけたり、猫の耳をつけたりして協力した。それで、ずいぶんと写真も撮られたが、これだけは後で見る気はない。どうせ典型的なボケ老人が写っているに決まっているからだ。

12月21日(金)「来年からの仕事は大変そう・・・の風さん」
 昨夜印刷した同窓会の写真を、TB社、続けて本社の仲間に配った。
 そして、来年からの担当業務と関係がある、安全衛生環境委員会というのにオブザーバー出席し、さらに昼食後、安全関連教育も受講した。けっこう荷が重い仕事だと思った。
 本社では、生産技術関連のグローバルな連絡会が開催されていて、アメリカ、中国、インドに出向している同僚と久しぶりに会った。
 会社が国際的になっているのは、時代の流れだから当然だが、会社の体質として、本当に国際化しているかどうか、手ごたえがないため、私は心配である。
 研修所に戻って、夜は戸締り当番をした。
 忙しく仕事をしているが、どうも効率が悪く、元気が出ない。早く、アイフォン5と、マックブックエアーを使いこなしたい。

12月22日(土)「執筆環境強化・・・の風さん」
 予約していた首のMRIの撮影に朝から出かけた。
 患者は多かったが、予約の私は比較的スムーズに進んだ。
 結局、レントゲン以上に鮮明に、頸椎のあたりの神経が圧迫されていることが判明し、鎮痛剤を飲みつつ、首の筋肉を鍛えることが治療方針となった。
 モバイル環境は、アイフォン5とアイパッドミニ(来週届く予定)、マックブックエアーをそろえることで大幅な効率アップを狙うことは確定していたが、執筆マシンの更新をどうするかが懸案事項として残っていた。
 これまでの情報収集の最後の確認事項として、実際に大型家電量販店にデスクトップマシンを見に行くことにした。どの程度のスペックのものが、どれくらいの予算で手に入るか、相場観を固めることも目的だった。
 現在の執筆マシンに変更したのは、今から5年くらい前だったと思う。CPUもメモリもHDも、スペック的には数倍のレベルアップを達成していた。今回も、それぞれ数倍のレベルアップを狙っている。しかも、当時の半分くらいのコストで、である。
 自信を深めて帰宅し、ネットでコンパクトなデスクトップマシンを発注した。ディスプレイはないが、既存が3台あるので、それで間に合う。OSはウィンドウズ8でCPUはi5、メモリは8GBだが、自分で8GB増設して16GBにする。HDは1TBだが、別置きのHDが1TBと640GBを持っているので、合計で2.64TBになる。計算能力よりも、多数のアプリケーションを同時に立ちあげ、参照しながら執筆するやり方を強化するのが狙いだ。
 同時に、オフィスとアクロバットのソフトも発注した。
 
12月23日(日)「アイフォン5の日・・・の風さん」
 今年の私の大仕事は15日に終わっていたが、ワイフの大仕事は昨日の子供トールペインティング教室でやっと終わった。
 夕方、そのワイフを連れて、auショップへ行き、ワイフのケータイもアイフォン5に機種変更した。ワイフは「絶対に使いこなせなーい」と叫んでいたが、私の読みでは私以上にアイフォン5が必需品になる。なぜなら、まるで女子高生のように、食事中でもケータイにメールが入ったりするほど、なくてはならないアイテムになっているからだ。
 私の執筆マシンを更新したら、旧型機は家族共用マシンとして提供するつもりだが、共用マシンの使用頻度はますます低下するだろう。
 いよいよ母の四十九日の法要(納骨)まで1週間となったので、引き出物の買い出しのため、そのままセントレア空港のショッピングモールへ出かけた。
 帰宅して、京都に住んでいる長男に「そろそろアイフォン5にしたらどうだ?」とメールしたら、「ついさっき購入したが、現在使用しているスマホの2年契約がまだ残っていて、変更すると大きな出費になるため、アイフォン5は新規購入した。帰省したら、現有機(スマホ)の契約を最低額のものにしたい」という内容の電話がかかってきた。
 ワイフがアイフォン5にしたことは、京都のショップでPC上で確認されて、教えられたという。
 我が家は今月、3人がアイフォン5になった。次女は4Sで、長女はスマホである。
 
12月24日(月)「ついにアップルがそろう・・・の風さん」
 旧職場に出社し、午前中2つの会議に出席。昼食後、本社に移動して会議。それから研修所に移動して、先週から取り組んでいる震災リスク対応予算の執行状況を整理。有料道路使用の補助金申請処理をしたところで、さっさと退社。帰りにミッシェルに給油。今日は疲れた。
 土曜日に発注したPCソフト2個が早くも届いていた。そして、10日前に発注した iPad mini がやっと届いた。
 iPad mini は、アイフォン5をスケールアップしたような感じだ。だから、片手で持って操作することはできない。
 ま、これで、アイフォン5、マックブックエアーに加えて、iPad mini が揃ったので、iCloudも含め、それらの親和性を生かせるように(作家業の効率アップにつながるように)、早くマスターしたい。

12月25日(火)「パソコン環境が着々・・・の風さん」
 午前中、研修所で2つの会議に出席。カロリーメイトをかじって、すぐに旧職場へ移動。午後、研修所の上司や同僚を迎えて、開発中の工程を見学してもらった。それ以上に歓迎したことは言うまでもない。
 彼らが帰った後、交通安全映画を見て、家路についた……が、買い物のために遠回りした。
 家電量販店で、週末に届く予定の、ウィンドウズ8のデスクトップPCのための増設メモリを購入した。
 PC3-12800、DDR3-1600の4GBが2個セットで3980円である。この安さはハンパじゃない。お買い得。
 これで、新執筆マシンのメモリは、8GBから16GBへアップする。
 帰宅したら、予定通り長男が帰省していた。
 夕食後、アイフォン5のテザリング機能(無線LANの親機代わりができる)を確認した。

12月26日(水)「歯の検診も異常なし・・・の風さん」
 来年の1月8日に初めて研修所で講義をする。そのタイトルと骨子を考えた。
 会社生活と人生は、切っても切れない関係にある。どちらも似た価値観だからだ。最も大切なことは、子供を育てること。後進を育成すること。人生の先輩として後輩へ何かを伝承していくこと。命のバトンタッチである。
 私自身の人生を語ることで、後輩へメッセージを送ることにした。
 やっと成形体オイルフィルターの完成したケースを、先輩たちへ送る準備(社内メール便や郵送)に着手した。
 どのような仕事も、事務的な作業の積み重ねでできることだが、同封する手紙の文案を考えるなど、意外と神経をつかうため、ついつい先送りされてきたのだ。
 定時になった。今夜は研修所の職制忘年会だが、今年はもう飲み会に出る意欲は消失していた。
 今夜は研修所の戸締り当番でもあった。
 どうせすぐ帰宅できないのだからと、定時になってまもなく外出した。半年に1度(今回は忙しくて、8ヶ月くらい間があいてしまった)の歯科検診に行ったのだ。検診とは言っても、毎回、歯石の除去が目的である。
 女性の衛生士が「半年でなく、3ヶ月ごとに来てください」と苦言を呈した後、歯科医がやってきて、「よく取れていませんね」と自ら歯石除去をやってくれ、「では、また半年後に来てください」と言ってくれた。なんのことはない。女性の衛生士は、手を抜いて、権限をこえた発言をしたのだ。
 研修所に戻ったら、もう1人しか残っていなかった。

12月27日(木)「今日も駆け足のような1日・・・の風さん」
 木曜日だが、仕事納めの日である。作家としての最後の大仕事が終わり、会社の仕事が終わっても、30日の四十九日が終わらなければ、今年は最後という気分にはなれない。
 研修所に着いてすぐ、成形体オイルフィルターの完成したケースの郵送の処理をした。続いて、会議があり、来年へ向けた意見交換をした。
 最終日だが、自席周りの整理はあまりできなかった。
 午後、旧職場へ移動した。途中、買い物をしたが、代金を支払った後、あやうく買った品物をレジに忘れてくるところだった。ボケは着実に進行しているようだ。
 旧職場で会議に出席するつもりだったが、なんと、午前中に時間変更されていた。
 来年の講義の資料に利用するため、自分で設計した治具や装置の写真を撮り、こちらの自席周りの整理をして退社した。
 途中、ミッシェルに20リッターだけ給油し、家に着いてすぐ寝ている長男を叩き起こし、auショップへ連れて行った。これまで使っていたスマホの契約を最低の月額に変更するためである。
 夜のauショップは狙い目である。手続きが終わる間、一人の客もやって来なかった。
 
12月28日(金)「母の戒名が決まる・・・の風さん」
 最寄りの駅を8時4分に出る電車に乗って、名古屋の眼科へ出かけた。
 実に4年ぶりくらいになる。社会人入学して2年目くらいから超多忙になり、そのまま現在まで突っ走ってきたのだ。かつて心配な病気を抱えていて、その状態がずいぶんと続いた。しかし、次第に安定してきて、あらゆる社会活動に支障がなくなった。
 だからと言って、まったく無関心でいていいわけではなかった。
 今日は、久しぶりの検査と診察ということで、しっかり診てもらい、やや機能低下はみられるものの、心配するほどのことではない、と言われて安心した。
 ついでに、「先生。次は白内障ではないかと思うのですが……」という質問に対しても、「まだ全然心配することはありません」とお墨付きが得られた。
 帰りに、名古屋のアップルストアに寄って、マックブックエアーからのRGB出力ケーブルや、iPad mini の保護ケースなどを購入した。1万円近い買い物になったが、店員が親切な人で、割引価格にしてくれた。
 帰宅したら、郵便物がたくさん届いていた。
 書評が掲載されている月刊『致知』、私の和算解説が掲載されている月刊『東京人』、そして、国立国会図書館(NDL)へネット依頼してあった複写コピーである。どれもこれも感謝の気持ちで受け取った。
 明後日、四十九日の法要をおこなう菩提寺「心月斎」へ電話し、前の住職さんから、決定した母の戒名を教えてもらった。
 慧空好心大姉(えくうこうしんだいし)
 仏様の智慧を有し、限りなく自由に創造的に生きてきた、母、好子(よしこ)の戒名だった。

12月29日(土)「法要前日・・・の風さん」
 年末年始休暇の2日目だが、ゆっくりしていられない。
 朝食後、郵便局へ行き、NDLへの複写代金を送金。帰宅して、屋外の灯油タンクに補充後、GSへ補充用灯油を買いに行った。
 すぐに次女を乗せて、いつものauショップへ行き、月額が安くなる契約に変更させた。日中にもかかわらず空いていて助かった(途中で変な客−ボケた老人のクレームが2件あったが)。
 次女を近くの駅まで送ってから、ワインやビールを買って帰宅した。
 そこへ待望の新執筆マシンが届いた。
 昼食後、書斎の片付けに着手。これが夕方まで続いた。特に、旧執筆マシンをとりあえず長女の部屋へ間借りさせるのは大変だった。
 雑多な道具類も、間借りさせてもらった(あとで整理するのも、やはり大変だろう)。
 ようやく新執筆マシンを開梱し、デスクの上に載せてみた(最終的には床置きにする)。
 後でやるのは面倒だろうと、取説を開いて、メモリを2個装てんした。これは何度もやっていることなので、問題ない。
 一つ誤算だったのは、無線LANカードが使えないことだった。
 ここ数年で、CardBusスロットがなくなり、PCI Express 規格の拡張カードを内部に装てんするか、あるいはUSB接続の無線LANアンテナを外付けするしかなかった。しかし、どちらも持ってはいない。
 新執筆マシンのセットアップにはネット接続は必須である。
 有線LAN接続をやれないことはないが、何となく面倒だ。かと言って、今から家電量販店に走る時間的余裕もなかった。
 そこでネット注文ということになるのだが、問題は、ウィンドウズ8に対応しているかどうかだ。
 価格とお届け日も入念に確認した上で、某機種を発注した。大晦日に届く予定だ。
 松井秀喜が引退を表明した。38歳。10年の日本プロ野球、10年のメジャーリーグ、合わせて20年のプロ生活だった。長島茂雄の引退も38歳だったから、決して早過ぎる引退ではないが、来年最初の子供が生まれるというニュースを聞くと、プロスポーツ選手の現役期間の短さを痛感する。仮に私が来年で会社を定年退職したとして、3人の子供たちは皆二十歳を過ぎたおとなである。会社員としての父親の記憶は、かなり明瞭に刻まれているだろう。
 明日の法要のために福島から兄夫婦が到着した。大渋滞の中、マイカーでやってきたのだ。
 長女は明朝からの参加だが、我が家が賑やかになってきた。

12月30日(日)「母の四十九日・・・の風さん」
 昨日の午後から下り坂だった天気が、予報通りの雨になった。
 スーパーコンピューターを使った予報なので、実によく当たる。特に、今日の天気は全国的に一様なので、狂うはずもなかった。
 9時半前までに、ワイフのご両親なども到着し、我が家は久しぶりに大勢の人でにぎわった。2匹の猫が居場所を奪われて、右往左往することになった。
 3台の車に分乗して心月斎へ向かった。
 風はほとんどなかったが、冷え込んでいた。
 父の法事以来慣れているお寺なので、リラックスムードで準備が進んだ。
 本来の四十九日は1月5日だったが、お正月ということもあって、この日に前倒しされた。
 父のときにお世話になり、今回、特に戒名の命名をお願いした前の住職と、その息子さんである現住職の2人体制で、式は厳かに執り行われた。前回(父のとき)と同様、ここでは私が喪主を務めた。
 納骨は雨の中、傘をさしながら行われた。
 石の水入れをずらすと、父の骨がぎっしりと奥に詰まっていた。
 兄と二人で母の骨をその上へ乗せていった。
 本堂の祭壇横の座敷で一服し、私が参列者とお寺さんへのお礼を述べた。
 食事会は、今回が二度目となるが、近所のお寿司屋さんである。
 身内だけで、終始なごやかで笑いの絶えない食事となった。私はこういうのが理想だと思う。
 予定の時刻でお開きとし、兄に、感謝のあいさつをしてもらった。
 外へ出ると雨はいっそう激しさを増していた。しかし、どんなに激しく降ろうとも、母や父の記憶を洗い流せるものではない。思い出は永遠だ。
 私の家族と兄夫婦だけが家に戻った。
 私は酔っ払ってダウンしてしまった。
 夕食後、明日のスケジュールが急きょ相談の上で決定した。
 三重県にある「なばなの里」で開催されている、ウィンターイルミネーションの見物である。
 私は電車とバスで往復するゆったり案を提案した。

12月31日(月)「大晦日・・・の風さん」
 昨日と違って、天気は快晴である。
 長女を含めた3人と兄夫婦の5人で「なばなの里」へ出かけた。
 次女はバイトで、長男は留守番。
 出発前に、無線LANアンテナが届いたし、アイフォン5用の映画「トップガン」もダウンロードした。通常の年末年始ではないから、祝いごと以外は何でもあり、だ。
 名鉄電車で名古屋まで行き、そこでセントレアからやってきた兄夫婦と合流した。
 近鉄電車に乗り換えて、近鉄長島駅で降り、三重交通の直通バスに乗り換えて、「なばなの里に」に着いた。
 午後3時前で、まだ来園者はあまりない。
 長女は2度目なので、そのお勧めコースで園内を楽しむことにした。とはいえ、まだ日没前なので、先にお土産を買い、名物の味を楽しんだ。
 天気は確かにいいが、気温は低く、ビールを飲んでも酔わないし、寒かった。
 ベゴニア館の見学は、寒さをしのぐことができてよかった……じゃない、花がきれいだった(笑)。父や母が好きだったベゴニアだが、こんなにたくさんの種類があるとは知らなかった。
 5時5分の点灯開始を待って、正面ゲートから歩き始めた。
 光のトンネルやイルミネーションを使った屋外スクリーンの映像、桜のトンネルなど、大規模な光の演出に驚くとともに、まだまだ不景気感におおわれている日本の現実とのギャップに違和感もおぼえていた。
 午後7時に「なばなの里」を後にした。
 帰宅したのは9時前である。
 テレビをつけると、紅白歌合戦の真っ最中だった。
 そうだ。今日は大晦日なんだ。
 演歌歌手が登場すると、敵側の人気歌手がバックにずらりと並んで応援するという、奇妙な現象が見られた。長女の解説によれば、一瞬でもチャンネルの変更(すなわち視聴率の低下)を招きたくない局側の思惑だそうだ。
 時代の変化スピードの速さには、本当にとまどってしまう。
 
 年末恒例の、今年の成果を以下に書きとめておこう。

●本の出版
 新潮選書『江戸の天才数学者 −世界を驚かせた和算家たち−』
   現時点、4刷まで増刷達成。

●アンソロジー
 新鷹会傑作時代小説選『彩四季・江戸慕情』(光文社文庫)
   に短編「大江戸まんじゅう合戦」が収録された。

●雑誌に短編小説の書き下ろし2本
 『歴史を歩く』2012年春号(学研)
   に短編「風待ちの女」収録。

 Gakken Mook CARTA シリーズ『ゼロからわかる忠臣蔵』
   に短編「鳴かない鷹」収録。

●読み物、エッセイ、随想
 『日本推理作家協会会報』(3月号)
   に「決して異常なんかじゃない」掲載。

 中日新聞『エッセー心のしおり』
   に「よし。京都へ行こう」掲載。

●講演、トークなど(本名含む)
 第42回技術士CPDミニ講座で「江戸時代の時計技術」(3月)
 2012年精密工学会春季大会でパネラー(3月)
 愛知淑徳大学でキャリアデザイン講義「一生かければ何でもできる−私の履歴書−(5月)
 西区発ぐるっと大阪連続講座で「質屋の主人がつくった天文からくり時計」(7月)
 「Net Rush」エグゼクティブ名鑑に出演(8月)
 職場内でミニ講演「新刊に書かなかった怪物」(8月)
 2012生産技術者戦略会議で講演「ニッポン発のモノづくり」(10月)
 角倉研究プロジェクトで講演「『塵劫記』が後世に与えた影響」(11月)
 ジュンク堂池袋本店でトークセッション「江戸の天才数学者」(12月)

●受賞
 日本機械学会生産システム部門学術業績賞(3月)
 安全運転に対し、愛知県警察本部長表彰(9月)

2013年1月はここ

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